虚ろの輪音

第一部 第四話後 幕間Ⅲ

幕間

乾いた手指が、私の頬を撫でる。
枯れ枝を思わせるその手いや、手指と言わず、枯れ木のような印象を見る人に思わせるその人は、私の母だった。
まだ四十にもならないというのに、白髪も多く混じり、顔色も薄白く、生気のない様子で、ベッドに横たわっている。

父が《蒼き北伐》で死んでからの二年間、母は馬車馬のように、脇目もふらず働き続けた。二人の娘(わたしたち)を養う為に。
普通の稼ぎでは足りなかった。女手一つで、娘二人のぶんまで必要だから、というのも、当然ある。けれどそれ以上に、(モニカ)の身体のこともあった。
妹は、生まれつき身体に不具合を持っていた。見た目にはわからない、臓腑(うちがわ)のものだ。
その為に、薬が必要だった。治す為の薬などではない、ただいくらか症状を抑える程度の薬それでも、まともな家庭にはひどく高価な代物。
母は、妹と、そして私を生かす為に、働いて、働いて、働いて、働いて働いて働いてそして当然のように、限界を迎えた。
医者の見立てでは、もう長くは保たないだろうということだった。あるいは、今日明日にも、と。
もし……妹のことを諦めれば、こんなふうには、ならなかっただろう。
けれど、そうできなかった。母として。家族として。あるいは、人としてなのだろうか。

「エリカ」
母が私の名を呼ぶ。まるで老人のような、掠れた声だった。
私は、うん、と短く返事をして、次の言葉を待つ。
……モニカを……守って、ね」
それは、
「おねえちゃん、なんだから」
あまりに、ひどく重いものを、託す言葉だった。
わたしは、やはり、うん、と短く返事を返した。……その時の私は、その重みを、果たして理解していただろうか。
母は私の返事を聞いて、安堵したのだろうか。
僅かに微笑んだ後、目を閉じてそれきり、目を覚まさなかった。

母の末期(まつご)の言葉は、私の中に、深く根ざすように刻まれた。
私が、妹を守らなくちゃいけない。
戦死した父のように。
過労死した母のように。
私は、姉だから。
もう、たった一人しかいない、家族だから。

たとえそれが、断崖へ向かう道のりだったとしても。
行く先に気づかないフリをして、進むしかなかった。
私に、他の選択肢などなかった。

幕間 了