虚ろの輪音

幕間

ルナティア
「…………」 何をするでもなく、集落に転がっていた手頃な岩の上に座って、月を眺めている。
ソルティア
その後ろ姿へ向かって、ざくりと足音を立てながら近づいていく。わざと足音を立てるのは、二人でいた時に覚えた彼女を警戒させない為の行動だ。
ルナティア
「おはよう。……なんて時間でもないかしら」 振り向く事もせず、空を見上げたまま。
ソルティア
「……そうだね。まだ太陽は上がって無いし、ね」 ざくりと土を鳴らしながら近づき、隣に並ぶように立つ。こうして彼女に会いに来るのも、随分と久しぶりだ。
ルナティア
「少しは落ち着いた?」 そこまで来てようやく、視線を月から外して、ソルティアへと顔を向ける。
ソルティア
「ん……少しだけ」 少し横に顔を向けて、小さく微笑む。その顔は8年前と変わらない、どこか困ったような笑みだ。
ルナティア
「そう」 ソルティアから視線を外して、今度は足元を向けて、脚を軽くぷらぷらさせて。 「本当に、何も変わらないわね、ソルは」
ソルティア
「……変わったよ。あの頃より、嘘をつく数が増えた。変わらないのは、見た目だけさ」 同じように顔を伏せて、どこか自虐的に呟く。
ルナティア
「何かから逃げる為の手段に、嘘が加わっただけでしょう。きっと、そんなに変わった訳じゃないわ」
ソルティア
「逃げ、か。……まだ逃げてるだけかな、僕は?」
ルナティア
「私には、そうも見える。勿論それだけ、とは言わないけれど」 あなたの全てを知っている訳じゃないから、と付け足して。
ソルティア
「……街に住んだからかな。あそこで暮らすには、僕らは隠す事が多すぎるから」 自身の種族を公言すれば、街ではただ排斥されるだけなのだから。
ルナティア
「そうね。だから、私はまだ街では暮らしてない。でも、私が言ってるのはそんな事じゃないわ」
ソルティア
「……皆に、何も言わなかった事?」 そう言って、自分がやってきた方向へ顔を向ける。その先の家では、シャルロットがまだ眠っているはずだ。
ルナティア
「ええ。別に言えとか、そんな事を言う訳ではないけれど」
ソルティア
「………」 かけられた言葉に口を噤む。彼らに何も告げなかったのは、それだけ長く『仲間』でいる為の手段……だったはずだ。
ルナティア
まぁ、そもそもこんな事に、私から意見されてる時点で論外よね」
ソルティア
「……そうかもしれないね。何も語れなかったのは……僕の弱さなんだろう、きっと」 ふぅ、と大きく息を吐き、ルナに背を向けるようにして、同じ岩の上に座り込む。
ルナティア
「それで? ソルは今私とこうして話して、何をどうするつもりなの?」 背後に座られる事を拒否する事はなく、こちらからも体重を預けて。
ソルティア
「……分からない。ただ、窓から君の姿が見えたから……追いかけてきちゃったんだ」 背中にかかる軽い体重を感じながら。
ソルティア
「話したい事は、たくさんあった気がするんだ。なのに……何も言葉が出てこない」 降ろしていた両足を上げて腕で抱え込み、膝の上に顎を乗せる。
ルナティア
「ゆっくりと話せるのは、きっとこれが最後よ」
ルナティア
「だから、そうね。本当に必要だと思う事だけでも、思い出しておいた方がいいわ」
ソルティア
「……嫌だよ、最後だなんて」 ぐっと足を抱え込んで縮こまり。 「どれだけ言葉を重ねたって……きっと足りやしないんだ」
ルナティア
「それじゃあ、何度機会があっても足りないじゃない」 ふぅ、とため息をついて。
ソルティア
「……一緒に居たい」 自分でも思わず、といった風に本音が漏れる。
ルナティア
「……何を言ってるのよ、急に」
ソルティア
「……分かんないよ。でも……本当に思った事が、これなんだ」
ルナティア
「今すぐには、無理よ」
ソルティア
「僕が選んだ道が間違いだとは思ってるわけじゃないんだ。でも……ずっと後悔はしてたんだ。君と離れ離れになった事を」
ルナティア
「…………」
ソルティア
「本当は、いつだって逃げ帰りたいんだ。戦うのは、嫌いだ……誰かが傷つくのも、嫌いなんだ」
ソルティア
「でも、僕はここまで来た……来てしまった。君を追いかけて」
ソルティア
「兵士をしてたのも、冒険者になったのも、アカシャの為だけじゃない……ここまで来るのに必要だって、そう思ってやってきたんだ……」
ルナティア
「……そう」
ソルティア
「……それはきっと、後悔してたからで……もう一度会いたいって、願ったからで……」
ソルティア
「だって、そうだろう? 僕らは……この村で、同じ魂を分け合って生きてきたんだから……」 少しだけ背中に体重をかけて、空に浮かぶ月を見上げる。
ルナティア
「そうね。ソルが生まれてから、私は随分と楽になったわ。精神的にも、肉体的にも」
ルナティア
「けれど、あなたと私はまだ、立っている場所が全然違うままだわ」
ソルティア
「……まだ、進まなくちゃいけないんだね。君の立ってる場所は……遠いんだ」 少しだけ悲しそうに顔を伏せて。
ルナティア
「あなたが、今まで培ってきた私以外のものをすべて捨てる事が出来るのなら、一緒に来る事を、拒みはしないけれど」
ソルティア
「……出来る事なら、そうしてしまいたいとも思うよ。君だって、戦っているんだから……今に抗おうとして」
ソルティア
「……でも、それじゃ駄目なんだ。何故か分からないけど、そう思う……」 顔を伏せて、ふるっと首を横に振り。
ルナティア
そう。それなら、まだ救いはあるのかもね」
ソルティア
「救い……?」 疑問の声をあげて、少しだけ背中の方へ振り向く。
ルナティア
「もし、本当にそうする、なんて言っていたら、本当に愛想を尽かす所だったわ」
ルナティア
「私から離れて得たものを、私を得る為に捨てるなんて身勝手な人、私は嫌いだもの」
ソルティア
「そっか。……よかった」 顔を正面へ戻して、小さく笑う。その気配は、背中越しでも伝わるだろう。
ソルティア
「なら、まだ頑張れそうな気がするよ。……ありがとう、ルナ」
ルナティア
「お礼は、まだ早すぎるわ」
ソルティア
「いいじゃない、何回言ったって寂れるようなものじゃないよ」 多少気が楽になったのか、抱えていた足を投げ出してぶらぶらと揺する。
ルナティア
「……まだ、何も変わってないのよ。世界も、私も」
ソルティア
「……僕達は、同じ未来を目指しているのかな、ルナ?」 空に浮かぶ月を見上げて。
ルナティア
「あなたは、私と一緒に居る未来を見ているんでしょう」
ルナティア
「私も、“普通”に暮らしている未来を見ている」
ルナティア
「でもね」
ルナティア
「結果は似たようなものでも、過程は、きっと大きく違うわ。あなたが、そのどちらを望むかは、私には分からない」
ソルティア
「……僕は、悲しい事が嫌いなだけだよ。ここに居た事も、ここを離れた時も……君が“仕事”へ向かう後ろ姿を見るのも、君と離れ離れになった時も」
ソルティア
「だから僕は、きっとそれが少なくなるような道を選ぶよ。……多分、君とは一緒に行けないんだろう」
ルナティア
「私も、悲しいのは嫌いよ。だからこその、この道」
ルナティア
「選択を迫られた時、あなたは、どんな道を選ぶのかしらね」
ソルティア
「……未来の話は、分からないよ」 首を横に振って。
ルナティア
「分からなくても、未来からは逃げられないわ」
ソルティア
「でも、その未来で、君と一緒にいられるようにするよ。これだけは……諦められないから」
ソルティア
「逃げる事が出来ないなら……立ち向かわないと。愛想を尽かされるような男にだけは、なりたくないからね」
ルナティア
「……そう」
ルナティア
「……それじゃあ、敢えて最後にひとつ、言っておくわ」
ソルティア
「………」 無言で言葉の続きを待つ。
ルナティア
「……いえ、やっぱりやめておきましょうか。言う必要のない事だわ」
ソルティア
「……そっか」 笑顔に少し苦笑を混ぜて。
ルナティア
「ええ、きっと、あなたが自分自身で、あるいは私以外の人たちと見つけ出すべき事だから」
ソルティア
「うん、分かった」
ルナティア
「分かったのなら、そろそろ休んだ方がいいわ。明日以降に、支障が出るわよ」
ソルティア
「うん……ルナも、身体に気をつけて」 立ち上がる合図として背中を少し押し返し、岩から飛び降りる。
ルナティア
「私は平気よ。前にも見たでしょう、傷が一瞬で治ったのを」
ソルティア
「そういう意味じゃなくて……ただ心配してる、って事だよ。君の事、いつだってさ」 あえて振り向く事無く、背中を向けたまま。
ソルティア
「だから、気をつけて。……君が苦しいと、僕は悲しいんだ」
ルナティア
「……そう。じゃあ、素直に受け取っておくわ」
ソルティア
「うん。……じゃあ、またね、ルナ」 振り向きはせずに、それでもどこか後ろ髪を引かれるようにその場を立ち去っていく。
ルナティア
「ええ、またね」 振り向く事なく、静かに答えて。

幕間 了